働く女性の職業紹介シリーズ。
今回は、中学校教員として働く女性のストーリーです。
荒れた学級を受け持ち苦労しながらもその生徒たちが卒業を迎えたときの感動している姿が想像できます。
その職業を選んだきっかけ、その職業について嬉しかったこと・辛かったことなどを実話をもとにご紹介します。
その職業に就くひとがひとりでも増えるきっかけとなれれば・・・
大学の学部がほぼ教員になる環境で、一般企業の求人は少なく魅力的なものが無かった
(中学校教員になったきっかけ)
大学には行こうと思っていましたが、大学でしたいことの一つに国文学の勉強がありました。
複数校受験した中で合格できたのが教育学部の国語系だったため、教員免許を取ることが卒業要件の一つだったこともあります。
当時は正直、ものすごく教員になりたいと思っていたわけでもなく、教育実習を経ても自分の中で就きたい仕事を絞り切れませんでした。
ただ、学部が学部で周りもほとんどが教員になる環境だったことや、一般企業の求人は少なく魅力的なものもなかったので、とりあえず採用試験を受けたというところです。
荒れた学級を担当しトラブル多発も卒業時には手のかかった生徒たちからお礼をもらえた
(中学校教員になって嬉しかった思い出・良かった経験)
学級が荒れて荒れてどうにもならず、長い期間、家庭訪問や子どもの対応・指導に追われたときがありました。
入試の時さえもトラブルが多発したのですが、卒業前に終息し、最後には手のかかった子たちからきちんとお礼を言ってもらえました。
その年は本当に戦いましたし、本気で仕事をやめないと自分が持たないのではないかという状態でしたが、この時期を越えて自分も成長できたと思っています。
いい年をして傷つきながら学んだ1年でしたが、それ以降の自分の仕事への取り組み方や生き方に大きく影響しています。
他にも進路指導が上手くいったことや、紆余曲折しながら迎えた行事が成功したことなども思い出に残っています。
随分前の卒業生が顔を出しにきてくれることなどももちろん嬉しいです。
強豪の運動部顧問になったため、丸一ヶ月休みがなく週末は早朝から夜まで大会が続きで休めなかった
(中学校教員になった辛かった・苦しかった経験)
色々な採用形態で、小・中・高全て行きました。
最初は希望していなかった小学校でいきなりの担任。
小学校ではすべての教科を教えるため、その準備もかなり大変でしたし、子どもとの関わりも手を抜けず、物理的にも精神的にも辛かったです。
元々健康な方でしたが、月に一度は高熱を出して休んでいました。
また、希望していた中学校に配属になってからは、学校や学級が荒れると本来の業務や生活にも支障を来すくらいの状態が長く続くことが大変でした。
毎日のように遅い時間に家庭訪問をしたり、不毛な話し合いを長期間に渡り続けることになったり、かなり遅い時間に帰宅してやっと夕食を食べているときに保護者から電話がきたりもしました。
誠心誠意で行っても理解されないままということもありました。
生徒指導以外では部活動を持たなくてはいけないことがあります。
自分の得意分野で自分のペースでできればまだしも、そういうことはまずありません。
強豪の運動部に決まってしまい、丸一ヶ月休みがなく、週末は早朝から夜まで大会が続くということもあります。
僅かな手当はありますが、ちゃんと休みたい、本来の業務である教材研究や学校の仕事にもっと時間を割きたいといつも思っています。
大変な中でも、自分の願いや思いが通じた時や卒業担任として迎える卒業式は何とも言えない喜びを味わえる
(中学校教員を目指す方に一言)
自分の時代とは違い、今の方が先生にとって厳しい環境と思った方がよいです。
3年違うと上から降りてくる指示も子どもも保護者もかなり変わります。
新卒で就職できても自分のときと違う、と強く感じると思います。
また、奉仕者というスタンスなので勤務条件、とくに勤務時間はあってないようなものです。
物理的には本当に大変ですし、覚悟が必要です。
オールラウンダーな面を求められることも多いです。
それでも季節を感じられたり、子どもが成長していくさまを間近で見られたり、いい仕事だなと感じることも多い職業と思います。
大変な中でも自分の願いや思いが通じたときや、卒業担任として迎える卒業式には何とも言えない喜びを味わうことができます。
子どもの数が減り、採用試験がまた年々難しくなっているとは思いますが、どうか頑張ってください!
(中学校教員)