人の生死を左右する責任が重くて辛くて逃げ出したい看護師の仕事

nurse

 
働く女性の職業紹介シリーズ。

今回は、看護師として15年以上も働いている女性のストーリーです。

看護の仕事が非常に厳しいと終始感じる文章ですが、15年も続けている理由はきっとあるはずです。

その職業を選んだきっかけ、その職業について嬉しかったこと・辛かったことなどを実話をもとにご紹介します。

その職業に就くひとがひとりでも増えるきっかけとなれれば・・・
 

登校拒否の高校時代、入院中の祖父のお見舞いから看護の道へ

(看護師になったきっかけ)
高校生活で様々なことが重なり、とにかく学校に行きたくなくなりました。

初めは単純な登校拒否だろうと家族は思っていたらしいのですが、学校に行かずにアルバイトを始めてしまった私を見て、行かないことは本気だろうと思った母親が、退学後にどうしていくのか、両親が納得する答えが聞ければ辞めてもいいと言われ、何をすればいいのか考えていた。

当時、時間があると立ち寄っていた図書館で読んだ、とある本と、入院中だった祖父へのお見舞いで感じた影響から「病院で働きたい」と思うようになり、中卒でも入れる当時の”准看護師養成学校”への入学を決めたことがきっかけです。

自立して家を出れると思ったことも大きな理由でした。
 

中学の頃から憧れ・夢の海外を看護師になってから叶えることができた

(看護師になって嬉しかった思い出・良かった経験)
一番良かったことは、一人で生活できていることです。

看護師になって嬉しかった思い出・・・仕事中に感じる”嬉しさ”は15年以上過ぎた今でもありません。

ただ、この仕事をしていたから、できたことはたくさんあります。

一番嬉しかったことは留学できたことです。

中学の頃から海外に憧れていて、途中まで通った高校時代も交換留学生徒して申し込みをしたいと親に願い出たこともありました。

その夢を看護師になってから叶えることができました。

留学できたのは29歳の時で、お金を貯めて、海外で介護の勉強をしてきました。

ただの英語の勉強と海外生活の経験でも良かったのですが、当時相談に乗っていただいた留学カウンセラーの方から、どうせ行くなら何か目的を持って行ってきた方がよいとのアドバイスを頂き、結局自分のお仕事につながる勉強をしてみようと思い、現在日本で言うヘルパー職の勉強をしてきました。

看護師にならなかったら留学はできなかったかもしれないので、これが一番本当に嬉しくて、本当に良かった経験です。
 

自分の判断で人の生死を決めるかもしれないというプレッシャーは重い

(看護師になって辛かった・苦しかった経験)
責任の重さを感じる時が一番辛いです。

それにやりがいを持ってやるのがこの仕事の楽しさなのかもしれませんが、私にとっては非常に苦痛です。

看護師になりたての新人の頃は”責任”の意味も重たさもわからず、ただ先輩についていれば良かったので、あまり感じることはなかったのでしょう。

この辛さは経験を積むにつれ、だんだんとのしかかってきて、重くて辛くて逃げ出したくなり、実際には逃げています。

正直、今でも辛いです。

自分の判断で人の生死を決めるかもしれないと思うプレッシャーが重くのしかかります。

自分の勤務帯で、予期しない人の”死”を目の前にした時、私がもっとこうすれば死なずにすんだかもしれない、と思うことも辛かったです。

あなたのせいじゃない、と慰めてもらっても全く助けになりません。

ああすればよかった、と考えるときりがないので考えない方がよいとは思うのですが、家に帰ってからも考えて、考えて、一人でそれを克服してまた次に笑顔で仕事に行かなければならないのは本当に苦しいです。
 

立派な理由で看護師を目指すことは素敵!けれど、理想や夢を膨らまし過ぎないで

(看護師を目指す方に一言)
私が免許を取った頃とはかなり世の中が変わっています。

今はとにかく新人が”続かない”時代です。

せっかく苦労してこの免許を取ったのに、辞めてしまう看護師の方が大勢います。

正直、何も考えない人が向いているのかもしれません。

立派な理由を持って看護師になりたい!と思うことは素敵だけど、あまり理想や夢をふくらませないこと。

いろいろな現実が待っていて、それはこの仕事だけのことではないのです。

仕事をしていれば楽しいことばかりじゃないし、お金をもらっているのだから、その分の仕事はしなくてはいけません。

お母さんに怒られたことがなくても、仕事ではたくさん怒られます。

この職業を目指す前に、社会人としてどうありたいか、どうあるべきかを考えてお仕事を決めてもらいたいと思います。

私たちは天使なんかじゃありませんから。
 
(千葉県/看護師)