あの人の、あの言葉で、私は退職を撤回した(10)

|誰だって会社を辞めようと思ったことはある。
|でもそんなときに限って、いつも誰かが救ってくれる。
|あの時のあの人のあの言葉があったから今こうして頑張れる。

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働く女性が仕事を辞めようと思った様々なシーンで、上司や先輩、同期、家族、お客様から頂いたたくさんの言葉があります。

仕事を辞めずにもう一度頑張れる気持ちになった、あの人のあの言葉をエピソードを添えてお届けします。
 

あなたのその前向きさがみんなの良い刺激になっているんだよ

(from 女上司)
プロジェクトが大人の事情(予算)でボツになった時、諦められず、色んな人にお願いに行きました。
調整出来ないか、どうしたら実現できるか。結果、関係者の協力によって実現しプロジェクトは大成功となりました。懸けていた案件だっただけに、予算の関係で出来ないとなった時は心が折れそうでしたが、諦めず動き回わって良かったです。
そんな私に尊敬する上司がかけてくれた言葉です。今となってはもう懐かしいですが、どんなトラブルがあってもその言葉に今でも支えられています。(東京都/総合職)
 

あと一週間だけがんばってみて、だめなら辞めればいいじゃない

(from 母親)
長年いた部署から異動になり、まったく畑違いの部署でわからないことだらけ。
上司にぜひにと言われて異動した先だったのですが、あまりに自分ができることが少なくて「ここにいても自分は役に立たない」と思ってしまい、母親に「できることがなくて辛い、辞めたい」とこぼしたときにもらった言葉です。
今にして思えば異動したばかりなので出来ることが少ないのは当たり前だったのですが、それまでいた部署では長年勤めていた経験からほとんどの業務を自分一人でできるようになっていたので、それとのギャップに苦しみました。
母親からもらったこの言葉で「そうだな、じゃああと一週間だけがんばって行こう」と思え、一週間が過ぎるころには「どうせならあと一カ月・・・」となり、いつのまにか辞めたかった気持ちがなくなっていました。
一週間という短い期間を提示されたことで気分がとても楽になれたのが良かったと思います。(京都府/営業事務)
 

苦労は買ってでもしなさい

(from 母親)
オーストラリアでの添乗員も一区切りつき、別の国の添乗員になるか、実家の九州に帰ってのんびりするかの選択でした。別の国にいくとそらく、最低3年は帰れなくなる決断でいした。流石に悩み母に相談。すでに実家を出て6年が経過していたのですが、頑張りなさいの一言で決断。(大分県/添乗員)
 

もっといい経験をつんで、なんでも学びにつなげなさい

(from 上司)
とにかく、経験がまだまだ未熟な私が、栄養学の楽しさを実感できないのは当たり前と言われた。そのあと、これからが調理の技術もみについて利用者さんとの関わりがとれてくると思うし、そのなかで学びにつながることがたくさんあるとアドバイスをもらって、奥深さを感じました。(宮崎県/管理栄養士)
 

お金のためだと思って割り切ったら?

(from 同僚)
今の会社は何もかもが行き当たりばったりで、嫌な仕事は見て見ぬふり「気が付いた人がやる」そんなルール。
掃除すらやらない会社で、毎日掃除から雑務までこなしていました。同僚の事務員も見て見ぬフリ。
掃除していたら「暇なの?」と言われた。もう嫌だ!もっといい環境で仕事がしたい!パートのおばさんに愚痴りました。
その時言われました。そういうのも仕事のうちだと思って割り切ることにしたら、あまりつらくなくなりました。(千葉県/パート)