小1の壁問題もあり子供の大切な時期を犠牲にしたくないから時短で働く

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出産・育休後に働き方を変えたワーキングマザーの体験談シリーズ。

保育園のお迎え時間の都合など育児を優先させるために、正社員からパートや正社員だけど時短勤務というように働き方を変えた(変えざるを得なかった)経験のあるワーママの体験談です。
これから同じ様な悩みを抱えるワーママに少しでも参考に、少しでも勇気を与えられれば・・・

今回は、機械設計、製品開発として正社員ながら時短勤務で働くワーママの体験談です。

時短勤務で職場復帰後は仕事の総量が減り、今まで自分の仕事だった領域を後輩に任されることも多くなった

(仕事内容や責任、給与などの待遇面はどのように変わったか)
仕事の総量が減り、今まで自分の仕事だった領域を後輩に任されることも多くなりました。

しかし、パソコンを持ち帰って海外との電話会議に出席したり、持ち帰り仕事をこなしたりすることで少しずつやる気を見直されてきたような気がします。自分が責任者となるプロジェクトも任せてもらえています。

第二子出産前は月に1回海外出張がありましたが、現在は配慮して減らしてもらっています。

時短勤務中は基本給を2割カットされています。その一方、今は景気がいいので残業代が結構多めに認められているので毎月15~20時間ほど残業して結果としては給与面ではフルタイムの基本給と同じぐらいのレベルです。

しかし、持ち帰り仕事も結構しているため、実験があったり自分が主催する会議があって準備が必要な時などは肉体的にきつい時もあります。
 

時間に余裕がないことで自分の心に余裕がなくなり、子供にとって大切な時期を犠牲にしたくないから時短勤務

(なぜ働き方を変える決断をしたのか。また、その決断の過程での困難や葛藤)
25歳で結婚、第一子を27歳、第二子を31歳で出産しました。

第一子の時は1月に出産し、0歳の4月に復帰、その後は1歳の4月まで1年間6時間の時短勤務をしました。第二子は12月に出産、第一子と同じく0歳の4月で復帰しました。

今回も1年の時短勤務の後にフルタイムに戻そうと育休前は思っていました。
しかし、先輩ママさんたちの「小学校は働く母にとって完全にアウェー」という言葉や「小一の壁」に関する記事などを読んで思い直しました。

いわく、小学校に上がると生活リズムも変わるし、周りの環境も変わるし、帰ってから宿題はさせないといけないし、保育園より学童のお迎え時間は早いし、最初は生活を回すので精一杯。

夏休みは毎日お弁当を作らないといけないし、とにかく夏までが勝負とのこと。そういう話を聞いて、やはり第一子が小学校に上がってから夏休みが終わるまで(第二子の2歳の夏まで)の5ヶ月は少なくとも時短勤務を取らなければならないなと感じました。

時間的な生活はなんとか回せても、時間に余裕がないことによって自分の心に余裕がなくなり、ただでさえ余裕がない子供の心を受け止められないという事態を避けなければならないと感じたからです。

しかし、職場は部署で女性は自分一人という環境だったため、1年以上時短を取ることは避けたかったのが本音です。

そこで、最初は上司に第二子が一歳の4月まで時短を取り、その後一旦フルタイムに戻して1年間働き、また半年間時短に戻すことはできないかと相談しました。しかし、就業規則で勤務時間の変更は一回までと決められているので認められないと言われました。

そこで、仕事をセーブすることにはなりますが小学校一年という子供にとって大切な時期を犠牲にしてはいけないと思い、第二子が2歳半になるまで時短を継続することになりました。
 

ワーママとして働き続けることは孤独で、家庭と仕事両方のバランスを取っていくことは本当に難しい

(ワーママとして働き続けることについてどう感じたか)
ワーママとして働き続けることは孤独です。
そして家庭と仕事の両面からの要求に折り合いをつけて、いかに自分を納得させるかだと思います。

仕事にのめりこみ過ぎて子供がいらいらするようになると自分はいい母親じゃないんじゃないかと悩みます。一方、家庭に一生懸命になるがあまり、仕事がこなせていなくて自分の仕事を後輩に回されたりすると自分は社会人失格なんじゃないかと思います。

両方のバランスを取っていくことは本当に難しいと感じます。

また、日本の長時間残業文化は家庭から父親という戦力を奪うと同時に本当にワーママのやる気をそぐと思います。

通常の勤務時間が8時間であれば6時間でも戦力として見てもらえます。しかし、現在の日本の平均的な労働時間は2時間残業して10時間労働が普通と言うのが本音ではないでしょうか。

そういう社会だと6時間労働しかできない短時間勤務者は半分の戦力としてしか見てもらえず、本当に将来が見えなくなります。

1年、2年なら我慢できますが、この我慢がいつまで続くのだろう、いつまで自分はこの孤独というかやるせなさに耐えられるのだろうと感じられてなりません。
 
(機械設計、製品開発)